初夏の怪談

母に聞いた、本当にあった怖い話。

 

 私の母は紀伊半島の南の方(それも東側)の出身なのだが、そのあたりは有り体に言ってド田舎だ。 太平洋ベルトの情報・物流の流れから隔絶されて、古い文化が保存された集落が点在していることで知られる。

 そのうちの一つ、海から少し内陸に入ったところの村の話なのだが。

 そこでは風土病というか、濃縮された遺伝子のせいと思われるのだが、村の男性が長じると例外なく体が不自由になるという。 具体的には、髪の毛が尋常では無く減ってしまうという。もう、「ちょっと歳がいった男性はみんな頭が肌色」というむごたらしい有様らしい。

 若い頃はフサでも、20代後半からキてしまい、40代ともなれば焦土と化してしまうので、近隣の集落からは「散髪屋いらずの村」として恐れられている程だ。

 

 何とも陰惨な話だが、きっと村の先祖が白蛇か旅の高僧でも殺してしまい末代まで呪われたんじゃ無いかと思う。

 

 で、何か怖いかというと、うちの母親がその村出身ということです。これは恐ろしい。

 

 でも「実は超能力者を集めた隠れ里の出身で、危機になると能力が発現する」設定みたいで中2的には少しカッコイイかもしれない。

 

 

 

日記的記述

 長い間使い続けてきた家のiPadが、だいぶポンコツになってきた。

 iOSは無論最新の物には更新されないし、なにより動作が遅い。

 彼の主な仕事はブラウジングとアマゾン試聴なのだが、そのいずれももっさりしており、後者に至っては「読み込み状態が長時間続く」という症状に至っている。

 「古いiPadが遅くなったときには~」的な対策も行ってみたが改善しない。外観はまだキレイなので捨てるのは惜しいと使い続けてきたがさすがに色々支障がある。

 型番を調べると2012年の第4世代モデルであり、さすがに寿命だなぁと納得したので、ようやく新しいiPadの購入を決断。

 今は半導体入手難で超品薄らしく、色は選択の余地は無かったがなんとか無印iPadヨドバシで購入できた。

 

 結果、当たり前だがサクサクに動く。 ええわ。

次期支援戦闘機

 車を探している。 自分専用の2台目を。

 以前から、「2台目はマツダのロードスタ(現行型のND)やろ」と決めていた。

 デザインも好きだし、原点回帰で軽量化というのも渋い。もちろんオープンも大事。

 

 さっそく中古車を検索してみたが・・高い! なんだこれは。

 比較的高年式で走行距離が短い物は、平気で250万円を越えてくる。これなら新車を少し値引きして買ったらそんなに差が無いじゃん・・・。

 ていうかこの額だすならボクスターの中古が買えてしまう。ボクスター良いよねあこがれるよね・・。でも屋外駐車になるから不用心かなぁ・・。MT(これははずせない)だとタマが少ないし・・。

 

 とか考えていたが、まずは大本命のロードスターをレンタカーで一日借りて乗ってみた。 大枚はたいて買った後に「なんか違う」てなったらイヤだし。

 感想。オープンは良い。運転もわりと楽しい。が、一日のったらそれなりに満足してしまった。六甲山も走ってみたが、初代はもうちょっと軽快な(剣呑な)楽しい動きをしていた様な気がするんだけどなぁ・・。思い出補正かしら。まぁ歳でしょうな。

 エンジン音もマツダ開発陣は「こだわりました」とはいっている物の、普通。まぁこれは初代も普通だった。

 

 うーん、こうなるといよいよ悩む。150万円ぐらいならさくっと買っちゃったんだろうけども。

 

 それ以来、なんか他に楽しい(そしてそこそこの値段の)車ないかしら、と思い色々検索する日々が続いた。スイフト・・・当たり前すぎる・・案外BMWの1シリーズ・・うーんMTはそこそこ高い・・。

 もうそこまで理想求めないなら軽で良いんだよなぁ維持費安いし・・カプチーノとか・・げ、まともなのはめっちゃ高い・・。アルトワークスヴィヴィオも高い・・。

 うーん、じゃぁスポーツカーじゃなくてもMTで走りがそれなりに楽しかったら良いかなぁ・・。うーん。

 とか思考の泥沼にはまってしまい、気づいたらプロボックスのMTを探していた。これはいかん、なんだか見失っていやしないか。 「ポルシェかプロボックスか」という車選びは正気では無い。

 というわけで、ここはプロ(知り合いの自動車の整備屋さん)に電話しよう。餅は餅屋というし。

「兄よ。」

「なんや珍しい。」

「2台目にロードスターを探しているのだが、中古も新車も高い。ボクスターが買えてしまう」

「おう、高いな。」

「というわけで、MTでギンギンでそこそこの値段のスポーツカーが欲しいので良いのあったらよろしく。 ボクスターの良いのがあったらそれでも」

「わかった」

 

 

 これでMTでギンギンのスポーツカー(たぶんポルシェ)が入手できるはず。 プロに任せておけば間違いない。

久闊を叙する

 ひょんな事から昨日、母校(高校)に同期が集まることになった。

 急な招集にもかかわらず20~30人ほどが参じていた。

 

 同期の一人のタテベくん(仮名)が、会うなり

 「おまえ、まだおったんか!! 俺はお前のこと全っ然信用してへんからなぁ!」

 と、教室の前にいた電動黒板消しクリーナー(緑色の装置)に絡んでいた。

 

  確かにうるさいだけで叩いた方が良く取れるよね、それ。

効かないスイッチ

 会社にて。

 健康保険組合から「ストレスチェックのお知らせ」というメールが来た。

 社員のメンタルをケアするために、外部機関と提携して始めた試みらしい。

 気になる人には産業医がどうのこうの、みたいな記載もある。ふーん。

 

 ふだんこういうのは真面目にやらず無難にすませるのだが、ふと「正直に答えたらどうなるんだろう」と思ってしまい。

 リンクを踏んで専用サイトに飛び、あるがままの選択肢を選んでみた。

 

 で。

 20~30個ほど質問に答えると「診断結果」というページに飛んだ。

 

 「仕事がストレスのようです。上司の方に『仕事が多い』と相談してみては」

 殺すぞ。

 

 見た瞬間ストレスメーター跳ね上がったわ。

 

 なんだろねこの、「痩せたいんだけどどうしたら?」って相談したら「食べる量を減らして運動したらいいよ!」ってドヤ顔でアドバイスされたような感じ。

 

 

 

お約束

 人間には 「利益を得るときにはリスクを取らないが、損失回避にはリスクを取る」というおかしな特性があるという。

 どういうことかというと。

 「1/2の確率で10万円がもらえる」という選択肢と、「必ず5万円がもらえる」という選択肢があれば、後者を選ぶ人間が多い。期待値は同じなのだが。

 ところが、「1/2の確率で10万円を損する」という選択肢と、「必ず5万円を損する」という選択肢があったときには、前者を選ぶ(リスクをとる)人間が多くなるという。

 確率や金額の大小である程度は結果は変わってくるとは思うが、経験的に思い当たる節はある。 けれど理屈で考えると不思議なメカニズムではある。

 

 

で。 

身の回りで、そんなケースなのかなという現象を見かける。

 

 

 このご時世、職場でもコロナ拡大防止のため、面倒な仕組みが徹底されている。

 毎朝、体温や体調不良の有無を申告するというものもそのひとつ。

 そして、項目のうちに「だるさ」というものがあるが、もちろん「無し」にチェックを入れる。

 「朝だるくなかった事なんて記憶に残ってる限りねぇよ!!」と思いながら、いれる。

 ・・・・「このブラック企業に『さぁー今日も一日、がんばっちゃうぞぉー!』なんて奴いるかよ!!」と思いながら、いれる。

 

 だって「はい、だるいっす」って正直に言っちゃったら面倒なことになるからね。コロナ狩りは怖いからね。

 

 私以外もそういう状況だと確信しているのだが、昨今そんな事なかれな構図がもう一段深まっているのだ。 どういう事かというと。

 年末年始急に寒くなったこともあってか、最近軽くセキをしていたり、鼻声だったりする人を見かけるようになった。 あきらかに万全の体調では無い。というか風邪だ。

 

 毎朝の申告の項目にも当然それらの項目はあるのだが、チェックは入れていないのであろう。だってかなり面倒なことになるからね。

 

 

 危機管理上はあきらかに間違っているが、なぜこうなってしまうのか。

 ポイントは風邪気味だからといって即コロナであるとは限らないことだ。

 風邪気味になったとき、本人には下記の選択肢が与えられる。

 

    選択肢1「風邪の症状があると宣言する」

           ⇒その時点である程度の損失が確定する。

 

    選択肢2「黙っている」

           ⇒ふつうに治癒したら損得無し。

            もし本当にコロナで、かつ重症化したら大きな損失になる。

            が、その確率は低い。

 

 

 こうなった時に「損失回避のためにリスクを取る」傾向が働くと後者を選んでしまうのは無理も無い気がする。

 

 ちなみに、こんな状況を変えるためには職場の風土を変えるしか無いとは思うが、現状は 「風邪と認めてしまうと自他の業務に大きな影響が出てしまうので、周囲も本人もわざとそこに触れない」 という空気ができあがってしまっている状態だ。

 

 実は私も先日、頭痛がしたので「頭痛いので今日は定時で帰ります」と上司に申告したら、「肩こりだよね! うん、肩こり肩こり! 天気悪いし!」と肩こり説をゴリ押しされてしまった。

 

 こうやってコロナは広まっていくのね。。。

 

ハングリーは遠く

 子供の誕生日が年の後半に集中しており、そこからのクリスマスや正月というスケジュール進行は子供へのプレゼントが多い時期。

 そこで毎年痛感するのが、子供の無欲さ。いや、無欲とも少し違うのだが、自分の子供の時とは違うなぁと痛感させられる。「欲しいプレゼントは?」と聞いたときに、うーんと考えるのだ。

 「欲しい物がもらえるという機会は逃したくないのだが、さりとて日頃から欲しいと思っているモノが無く、聞かれてからひねり出す」といった印象。 しばらくま待っていると、「ちょっといいなとは思う」ぐらいの物が挙げられるので、こちらとしても「それ本当に欲しいの?」と聞いてしまう。

 結局、「権利として保留」とか「決めた額の好きな本を買う」とかそういうのになってしまうのだが、モノに対する欲望の希薄さみたいなものを非常に感じる。俺が子供の頃なら欲しい物を絞り込む方で悩んでたぜ。

  会社で同じ年頃の子供を持つ人達に聞いてみても同様な答えが返ってくるので、うちだけの現象では無い模様。

 

 やっぱり物が溢れていることが一因なのかなぁと思う。ザブザブと。

 少なくともうちの子供達は「欲しがる物は何でも買い与えられてきた」訳では決して無い。無いのではあるが、「欲しがらなくても既にだいたいの物が存在した」状態ではあったのかなと思う。 だってお下がりで色々もらえるし、フリマにいって1000円も使えばプラスチックの玩具は山のように購入できてしまうし、普通に買っても昔よりずいぶん安い。 だって1000円しないラジコンもあるんだぜ。考えられない。

 

 「意識的に捨てないと、勝手に物が増えて物が溢れてしまう」という状況、歴史的にみればなかなか無い状況とは思うのだが、オモチャに限らずそんな中で育った彼らには「モノが沢山あるのが贅沢」という感覚は全く無いだろう。

 そんな世代が主流派になった世の中はどうなってしまうのか、なかなか面白そうだと思う。

 

 ちなみに、そんな彼らが例外的に欲しがる物は、スマホとゲーム。 だがほいほい買い与えられるものでもないことが向こうもわかっているので簡単に要求はしてこない。

 両者に共通していることは、純粋なモノではなく付随した体験が価値の大半を占めるということだな。