たまの休日、ちょっと贅沢しようぜということで、家族で著名なしゃぶしゃぶ店に行ってきた。
この店、さすが高級店だけあってやっぱりサービスが違う。肉や野菜のおかわりをロボットが持ってきてくれるのだ! あと、ワッフルを自分で焼いて食べられるのも良きかな。
総合得点・肝心のゴマだれとポン酢がクソまずいので0点。
なんでみんな文句言わずに食ってんだアレ。次に行く機会があればマジでマイタレ持ち込もうと思う。
たまの休日、ちょっと贅沢しようぜということで、家族で著名なしゃぶしゃぶ店に行ってきた。
この店、さすが高級店だけあってやっぱりサービスが違う。肉や野菜のおかわりをロボットが持ってきてくれるのだ! あと、ワッフルを自分で焼いて食べられるのも良きかな。
総合得点・肝心のゴマだれとポン酢がクソまずいので0点。
なんでみんな文句言わずに食ってんだアレ。次に行く機会があればマジでマイタレ持ち込もうと思う。
会社の組織の話である。
今派遣されている会社は、部長と課長の間に次長という職責が置かれていて、いくつかの課を束ねる上位管理職、いわゆる部長的な仕事をしている。
そして部長はそんな次長達を束ねているので、もはや会社の上層部と言って差し支えないよねと言えばさにあらず。さらにその上に本部長だの事業部長だの(しかもそれぞれに副〇〇も)が重層的に布陣しているため、この部長というのは「現場からも遠い、経営陣からも遠い」という中途半端なポジションになっている。
それゆえにきっとヒマなのだろう(と私は邪推しているのだが)、今の部長さんは毒にも薬にもならない自己啓発や風土づくりのパワポを手作りしては部下に撒き散らすという癖がある。「業務効率UPのための5原則!!」とか「〇〇に気を付けて職場のコミュニケーションを改善しよう!!」とかそういうやつ。
まぁそれは別に好きにしたらええがな、という話なのだが、昨今AIという「それっぽい資料をサクっとつくる」分には強力無比な武器を手に入れた彼は、その手のパワポをすごい勢いで乱造し始めた。そして、「こ、これはすごいぞ!」と感動したのだろう、部下に「資料は基本的にAIに作らせて業務効率化すべし」と強い指示を出した。
まぁ将来的にそれが吉とでるか凶とでるかはわからないのだが、とりあえず現在の開発メンバーの状況で言うと、細部まで矛盾やウソが許されない技術的な説明資料や仕様書、評価結果報告書をAIで作成しようとして「あとちょっと」が思い通りにならず、阿鼻叫喚なことになっている。 特に絵とか。
私などは「明らかに手でやった方が早いことは手でやったら?」と思うのだが、今の職場は「指示されていることは盲目的にまじめにやる(本来の目的や効率は驚くほど気にしない)」という風土があるので、なんだかみんな頑張っている。 お疲れ様です。
数年ぶりに歯科検診に行った。歯石はもちろんあってガリガリ取ってもらったのだが、歯ぐきの腫れは全くなくとても良い状態とのこと。 この歯医者さんは歯肉炎に対してとても厳しく、家族含めて今までそんなことは言ってもらったことがなかったのでこれは偉業と言ってよい。
確かにここ数年、自らの口臭を感じる瞬間がほぼなくなったと感じる(そのかわりたまに遭遇する「ドブみたいな口臭のおっさん」への耐性がすっかり無くなり、殺意さえ覚えるようになったが・・・)。 また、汚い話で恐縮だが、くしゃみの時に唾液を散布してしまっても「臭!」となることがなくなった。これは自分ながら驚いた。 あと、うっかり口の中を噛んでしまったときに、口内炎へと発展する確率が激減したのは非常に助かっている。
さて、この高みに至るまでの数年のデンタルケアと言えば、思い当たることは二つある。毎日のデンタルフロスと、リステリンの使用だ。 特に後者は寝る前の歯磨き時に使うと翌朝の口内のすっきり感がかなり違うので、この成果にかなり貢献しているのではないかと思う。
そんなリステリンの私なりの運用としては、基本的には指示通り「液体歯磨きとして使って、吐き出した後は水でゆすがない」としているのだが、この「水でゆすがない」はけっこう心理的ハードルが高い。「磨いた後の穢れをきれいに吐き出したい欲」に勝てないというか。なので、たまに「リステリンで磨く→水できれいにうがい→もう一度リステリンでぶくぶく」みたいな無駄なオペレーションをしたりする。 人間とは不合理な生き物だ・・・。
ちなみに、リステリンにはヒエラルキーがあり、私が使っているのは刺激が最も弱くその筋のマニアには素人向けと馬鹿にされるトータルケアゼロ(薄紫のアルコール無しの奴)だ。それでも使い始めは結構口内が痛かったので、万人にはお勧めしない。
最強と言われる薄いオレンジ色の奴なんかホント怖くて買えない。口の中ただれるわ。
派遣として転職し、ひさびさに3Dで設計をしたのだがやっぱり楽しい。
求められる機能に対して、最小の寸法で成立する形状やレイアウトを考えてモニターの中にチクチクと構築していると、瞬く間に時間が過ぎ去っていく。
今の自分にとって、他のどんな娯楽よりも没入できる行為、それがこの設計であると断言できる。 自分の頭の中の知識や経験をベースに、何手も先を読みながら目先のフィーチャーを積んでいく作業をしていると、外の世界のことは何も聞こえなくなるし脳が100%ぶんぶん回っているのを実感する。過集中ってやつですな。
しかしこの、設計という作業自体が楽しいんだよっていうことが(私にとっては、誠に心外なのだが)わかってもらえないことも多い。たとえば、これまでの転職活動において、エージェントや面接担当者に転職動機を聞かれる機会が当たり前にあったわけだが、その時に「設計がしたいんですよ」と言っても、担当の方に「なるほど、やはりエンジニアとしてものづくりに携わっていたいと」とか「新しいプロダクトを世に問いたいわけなんですね」とか勝手に納得されてしまうことが多いのだが、違うんだよなー。どちらかというとそれは「製品開発」という仕事であって、私のしたい「設計」はもっと狭い作業にすぎないのだが、それはひょっとしたら「僕は営業職が好きなんではなく、帰ってから日報を書くのが最高に好きなんです」とか、「経理は天職だと思っています。エクセル操作が楽しくて・・・」って言ってるのと同じことなのかもしれないなぁ。 そこで誤解を解くために「いや、設計さえできるならCADオペとかそれに近い形でもかまわないんですよ」とか言っても、かなりの確率で「????・・・この経歴で????」と「何言っているかよくわかんないっす」みたいな顔で言われてしまう。
まぁ確かに、自分が生み出した製品を誰かが使っているのを街中で見かけたときの嬉しさは独特なものがあるし、そうでなくても世の中に「俺が作ったんだ」と言える製品を送り出した時の達成感は素晴らしい。エンジニア冥利につきるし、好きな仕事ではあるのだが、同時にそこに至るまでの色々な付帯業務(社内外の調整とかスケジュールの策定と管理とか法規・認証・社内審査の対応とか・・・)に正直うんざりしてしまった部分がある。 なので、その中でも自分が一番楽しめるエッセンスである「設計して、発注して、出来上がった物を確認して『よし、思い通りの物ができたな』と満足する」という部分だけをやっていたいのだ。
言ってしまえば「子作り行為はしたいけど育てるのはイヤ」的なワガママではあるのだが、この年になって「俺はどういう状態なら幸せなんだ?」と自らに向き合った結果、自分の志向に気づいてしまったのだから仕方がない。
とどのつまり、崇高な目標を掲げて努力の末に達成するより、目線は低くても日々のプロセスが楽しい方が幸せの総量は大きいよねという話だ。 考えてみれば当たり前である、目標を達成して嬉しいのは一瞬だけなのだから。
まぁそうは言っても、若いうちは苦労してでもスキルやポジションや資産を積み上げとかないと、人生の選択肢が広がらずに詰んじゃうからそこは気を付けないといけないんだけどね・・・。
休日の朝。
普段は放っておいたらいつまでも惰眠をむさぼっている下の娘が、早くから起きて洗面台を長時間占拠し、コテで念入りに毛先をくるくる巻いています。
「どっかいくの?」
「そう。」
「誰と?」
「彼氏。」
「どこいくの?」
「・・・・・(めんどくせぇな、という顔をする)。」
「習字教室?」
「そうそう、それそれ。」
「そんなわけないよね。」
「・・・・・お昼ご飯代、もらえたりする?」
そう言われてほいほい小遣いを与えるほど私も甘い親ではないので、財布にあった二千円だけ渡すと、娘は足取り軽く出かけていきました。
しかしこの、金銭的な対価を払いつつ父親としてのポジションを維持する行為、これこそが本当のパパ活というものではないでしょうか。むしろパパ活のプロフェッショナルと言っても過言ではない。
そう考えると、東横やSNSで知り合った未成年に小銭を撒いているパパ活なんてね、あんなのパパ活界で言うたらほんのアマチュアだと思います。 こっちは自分の人生かけて、生活ごと丸がかえしてやってのパパ活ですからね! かけてる額のケタが違いますよ!! まぁ閃光のハサウェイのバウンデンウッデン伯爵ぐらいだったら認めてやってもいい。
それはそうと今日の外出は、彼氏と遊びに行く、とかじゃないよね?(現実逃避)
日曜日の昼頃、近所の駅から電車に乗った。いつもと違う曜日、違う時間帯だったせいか、親子連れをたくさん見かけた。子供の多くは小学生ぐらいだったが、学校行事とかいうわけではなく、それぞれスポーツ系の習い事に行く途中だったり帰る途中だったりした模様。そういう時間帯だったんだろうが、休みの日に子供に運動させるのも金と手間をかける時代になったんだなぁと思った。まぁ「公園で適当に遊んで来い」っつっても最近外はクソ暑いしな。
子供の運動に金をかけるといえば、小学生ばかりではなく中学生の部活廃止の流れも連想してしまう。 地域クラブに行ってね、というやつだ。あれもある程度公的な補助は出るらしいが、従来の部活と同じ量と質の運動を子供にさせようと思ったら、やっぱりそれなりの身銭は切らないといけないことだろう。かたや、子供に家でだらだらスマホを見せておくだけなら、親は手間も金もかからない。
実はこれすなわち、子供の運動経験って貧富の格差の強い影響を受けるようになってはいまいか。
ステレオタイプな昭和のイメージだと、「貧乏人の子供:勉強もせず外で遊びまわって健康的」「金持ちの子:あまり運動せず白くてひょろっとしている」 なんだけど、もはやその認識は逆なのかもしれない。
なんか既視感がある構図だなぁと思ったら、体型の話だった。 昔は「貧乏人は瘦せていて、金持ちがデブ」ってイメージだったけど、穀物や甘いものが安くなり、ヘルシーな野菜や肉・魚が高くなったせいで今では逆の価値観になったという奴だ。
こと学力においては貧富による環境格差が言われて久しいが、それ以外の分野でも、金銭の多寡が子供の可能性を制限する傾向は確実に広まっている気がする。
ここで「格差社会」だの「親ガチャ」だの言って嘆くのは簡単なのだが、逆に「親が頑張れば頑張るだけ、可愛いわが子に素晴らしい未来をプレゼントできる世界」と言ってしまうとなんか良い感じになることよなぁ。
今週発表された折りたたみiPhone。
だいぶ以前から、出たら買おうと思ってはいたのだが、サムスンより5年以上遅れるとは思わなかった。
しかも1番安いグレードでめ30万円以上とは・・いくら円安とはいえ、さすがに決意が揺らぐ・・。