窮屈な楽園

 妻が里帰り中ということで、夜は基本的に外食だ。
 そんなとき行く店のひとつに、下は500円ぐらいから、ミニうどん付きの定食が食べられる場所がある。
 (自分をいじめたいから行く訳ではなく、けっこうおいしいのだ)

 
 ひさしぶりにそこに言ったら、黒人の若者の店員さんがいて、驚いた。
 そういえば、昨今、コンビニ店員さんとかに中国人を良く見かける。 何かと流行の先端をいく東京とかだと、もっと多いんだろうな。

 初めて中国人のコンビに店員さんを見た瞬間、反射的にこんな考えが頭をよぎった。
「やっぱ時給、日本人より安いのかな。いや、中国人だからって暮らしている日本の物価はいっしょやねんから、賃金が日本人より安いわけはないな。やってる仕事一緒やし。」

 そして次の瞬間、ハッとなった。 そんなことを考えた(考える事が出来た)自分に。
 外国人労働者や移民が、安くてキツイ仕事をするのは世界中で当然というのもバカらしいほど当たり前の現実だ。
 それなのに、「仕事が一緒なんやから同じ賃金やろ」という理想論に過ぎないロジックを、一瞬でも本気で思い浮かべた自分(日本人)は、なんと恵まれているのだろう、と。
 別に中国人だからといって給料を差別している事はさすがに無いかもしれないが、「中国人しかこないぐらいの低賃金」だということは充分にありうるのだ。


 そもそも、付加価値が低い仕事(サービス)を生きている人間が提供しているということは、客が価値以上のお金を払って店員を養っているか、もしくはそこに格差が生まれている(低い賃金に甘んじている)かのどちらかだ。

 つまり、「昔に較べて、日本は自動販売機が多く、店員が少なくなり、温かいやり取りがすっかりへった」と嘆くひとは、「貧乏な人間をつくれ」か、「ぼられてもいいです」と言っているのと等価だ。
 なのでサービスの機械化をどんどん進めなければならなかった、ここ数十年の日本は、まことに結構だったとも言える。
 賃金を低下させる(格差を作り出す)よりは機械化の道を選び、なおかつ安価なサービスを実現した訳だから。
 (それで職をうしなう人は出たかもしれないが・・・。)


 それを考えると、たとえば移民が多いと聞くアメリカなんかは、サービスが機械化されていないんだろうな。人間の方が安いから。