ボクノアトニミチハデキル

 このまえ実家に帰ったら、母親のノートパソコンがしまわれていた。
 ケーブルTVをひいてあるので、ネットにも繫がる様にしてあったはずなのだが。
 壊れた?ときくと「孫(俺のいとこの男の子だ)がもう中学生。よくうちに来てパソコンをいじるのだが、何かあったらいけないので壊れた事にして封印している」とのこと。
 
 
 「何か」ってなんだよ!年寄りは何でも、新しいものは危険視しやがって!  針小棒大に騒ぎ立てるマスコミに毒されている! 年寄りのステレオタイプな反応だよ! 思考停止だよ!

 と反射的に思ったのだが、まぁこれはこれで「若者」のステレオタイプな反応だな、と考え直し、ちょっと考えてみる事にした。

 そもそも「何かあったらいけない」の「何か」とは、以下の様なものを想定しているのだろう。

● アダルトコンテンツへの接触(性的悪影響)
● 危険情報への接触による悪影響(爆弾の作り方とか人の殺し方とか自殺の仕方とか・・・宗教やオカルトも含めようか)
● ネット中毒

★ アダルトコンテンツへの接触(突然高額な請求)
★ 個人情報の流出(ファイル交換・フィッシング)
★ ウイルスを仕入れる
★ 掲示板等から犯罪に巻き込まれる
★ 訳のわからないものを買ってしまう

 ●は「実害が明確でないもの」、★は「発生した瞬間に被害があるもの」 である。

と考えていくと、確率は低いものの、たしかに面倒なことになるリスクははらむ。
「子供にネットは見せない」というのは、それがあまりに強力かつ多能なツールであるがゆえに、選択肢ではあるということだな。

自動車や銃を子供に持たせないのと同様だな。両方とも、子供も使えたほうが便利に決まっているが、判断力や自己規制能力、そしていざコトが起こったときの弁済能力等を総合して「やめさせようぜ」という所に落ち着いたわけだ。
(あ、その文化なりの「リスク許容性」というのも重要なファクターだ。昨今の日本人は万が一の危険性も避ける、もしくは避けている気になれるような選択をする。)
 

酒や煙草なんかも、年月に洗われるなかでリスクと利便性(この場合快楽性か)のバランスを取って今の形(未成年にはのませない)になってきたんだろうし。

さて、うちはどうしようか・・・・。携帯もたせるかどうかの判断といい、いまどきの親は難しいな。

じつは30年もしたら、携帯(というか情報端末)は「大人になってから持つもの」になっているかもしれない。
「子供に持たせたら危ないに決まってるじゃん! 昔の人はなに考えてたんだろうね!」みたいな。