先日、近在(東灘区在住)の友人と突発的に「専務昇進を祝う会」を行ったのですが。(ちなみに昇進した本人は不在&無連絡で遂行。)
内容的には立ち飲み屋(ココ様が野良時代にお世話になった)にてグダグダ食って飲むというもので、話の内容の大半はうち一人の御母様と妹君にまつわる物でした。
彼(と御父様)は奔放かつ天真爛漫な女性陣の生き様に翻弄されているようでしたが、彼自身が嫁さんとその状況をネタに楽しめていることが、せめてもの救いとお見受けしました。
そしてこの関係性は、興味深い点があります。
彼にとって家族の面白行動は極論すれば「身内の恥」な訳で、それを嫁さんと客観的に共有できるということは、彼の立位置が肉親より嫁さん側にある、という事になります。
おそらくですが、世の中にはこういった男性もいるはずです。肉親への帰属意識や愛着心が強く(そして嫁さんは「一族に引き込んだ」という認識)、たとえば嫁さんが「お義母様にも困ったものね」とでも言おうもんなら「大事な肉親をコケにするか!」「身内の恥を笑うとは何事!」と激怒するような。
そして何が興味深いって、私の友人には前者が多いと思われること、そして私自身もそういう原理で動いているという事です。根幹となる価値観を言葉にすればこうでしょうか。
「肉親いうても自分で選んだ訳や無いし。それより自分で選んだ嫁さんの方が大事に決まってるし。」
まぁ価値観は時代により人により変わるので、どっちが良いとか健全とかいうつもりはありませんが、この「自分の嫁さんの方が(考えるまでも無く)大事派」には、必要以上には「育ての恩」にとらわれない、非常なまでの軽やかさを感じます。これは都市独特のもんなんでしょうかね。
自分自身、子供は「家や血を継がせるための要員」では無く、「金と手間はかかるが、精神的充足以上の見返りは求めない」といういわばペットとして育てている訳で、成人後に縛るつもりはありません(要望があればするでしょうが、命令はしないでしょう)。
自分が老いた先の介護にも、(現実的にはどうか知りませんが)負荷はかけたくないし、ましてや今からアテにすることはしたくないし見苦しいと思います。しかしこの潔さは、(自分の親の面倒も、正直見たくないけどな・・)という本音と表裏一体でもあります。
土地や家制度の輪廻から脱却してしまった都会人が、みんなこういった価値感になっているとしたら、高齢化社会は社会的制度で支える部分が大きくならざるを得ないと思います。
もしそうだとしたら。物理的にも、「少子化・未婚化で、介護を肉親に頼ることに無理がある」という動機付けはありますが、精神的側面からも「老人介護は組織的・効率的に。」という方向にむかわせる要素はあるんじゃないでしょうか。