ヒネクレモノ?

 その昔、小学校にいたころは、秋の運動会てのがありました。キライでした。
 なぜなら、徒競走とか玉入れとかのおなじみの奴(そいつらは楽しい)以外に、「出し物」があるじゃないですか。 学年とか学級とかに分かれて「○○おどり」とか「○○体操」とか、そういうやつ。それが激しくだるかったからです。もっと言うと、それらの運動会に向けた練習がだるかった。
 何ヶ月も前から、(夏の炎天下含む)、あの競技として何の意味も無い、そして面白くも無い演目の練習を体育の時間延々やらされる訳ですよ。本来の体育の(楽しいドッジボールや野球の)時間をつぶして。
 思い通りに子ども達が動かなくてイライラしている教師たちがヒステリックに叫んだり、「最後の体型がきれいな円状になっていない」とかいう理由でやり直しさせられたり・・・。
 どうでもええがな、そんなもん。 強烈にそう思ってました。
 なんで自分達がそんなストイックな苦行を強いられているのか? 当然そう疑問に思います。この行為はなんの為なのだ?
 そこで立てた仮説の一つが、「実はこの行為は楽しむべき物で、自分にその良さが理解できてない?」
 というわけで私は、毎年周囲のクラスメートに聞きまくっていました。「これ楽しい?」
 結果、「みんなで一つの目標を目指している時の充実感、そして演じきった達成感がたまらない」と皆口をそろえて・・・・な訳はなく、ありていに言って、みな程度の差こそあれ嫌がっていました。苦痛だと。違うようです。

 で、そんなダルイ練習の間にも(そう、「みんなのかけ声に元気が無い!」などという、お電波ゆんゆんな理由で懲罰的に延々行進させられたりとかしている間にも)さらに色々と考えます。
 じゃぁ何で、当の子供全てが嫌がっているのに、この無意味な行為は実施され続けているのか?
 それは子ども以外の人物、具体的には教師や父兄がやりたいと思っているからだ。でも何ゆえ、かように愚昧な集団行為の実施を欲しているのか?
 そしてこういう結論に達しました。「やっている本人(子供)にはわからないが、やらせている側(教師や見に来る父兄)はこれを良いものだと思っている。つまり今は何だか分らないが、大人になれば良さがわかる。」
 教師達や、運動会でわが子にカメラを向けるお父さん方にとって、全体競技を演ずる子供達の姿は琴線に触れる何かがあるのでしょう。それなら仕方がありません。所詮決定権が無い児童、スポンサーが良いと思えば従うしかありません。
 そして私は、「よし、大人になったら、漫然と運動会を楽しむのではなく、『あぁ、子どもの時はわからなかったけど、これはこういったポイントがこういう風に良いものだ。』と、子ども時代である今のネガティブな感情をふまえつつ、しっかりと振り返りを行おう」と、その瞬間を楽しみに待つことにしました。大人になった私は、溌剌とした子供達が一糸乱れず演技する姿に目尻をさげることでしょう。
 やがて小学生から中学生になり、ふと思いました。
 「海外の学校の運動会でもこういった催し物はあるのか? 例えば欧米で、軍国主義の名残漂う行進や、「みんなで力を合わせて」的な価値観の元に、子供達が機械の様に動くことを強いることは、教育行為として受け入れられ得るのか?」
 いやいや、余計なことを考えてはいけません。大人になれば分るのです、大人になれば・・。
 そういって高校生になり、大学生になり・・・・。
 30才を越えて、社会的にはすっかり「大人」に属し、あまつさえ子持ちにまでなってしまった今、私は焦っています。
 いまだに、あんなもの(運動会の競技以外の集団演技)の何がいいのか分らない。自分が子ども時代に抱いた強烈な違和感は生々しく胸に残っており、どんどん育って行くわが子が就学年齢に達するまでに雲散霧消するとは到底思えません。
 このままでは、運動会当日、べスポジ確保のため運動場を早朝から占拠するようなほんわかパパにはなれません。それどころかそういった演目を悲痛なまなざしで見やりながら「寒い時代だとおもわんか・・?」とつぶやいてしまうかもしれません。
 ていうかむしろ、「個性の尊重の時代」とか言われている昨今にまだあんなものが残っていたら、目を疑ってしまうかもしれません。あれは私には、北朝鮮マスゲームと同質の思想が根底にあることを感じさせます。
 「力を合わせてなにかを達成させることの素晴らしさ」を教えることまで否定しませんが、権力の強制にイヤイヤながら従う中でそんな崇高なものが産まれ得るとは到底思えません。
 例えばバーベキューひとつにしても、成功するためには何らかの団結や協力は不可欠なものです。子供達が楽しめつつ、連帯感を醸成し達成する快感を得られるような催しごとは幾らもあることでしょう。秘密基地作りだって、色紙を使って巨大なモザイク画をつくるのだって、なんでもいいと思うのです。
 そして何より私が恐れていることは、いつの日かわが子が「運動会にやる変な踊りとか、何が楽しいの?」と聞いてくることです。その時私はなんと答えたらいいのでしょう。
 今の私には「あれは軍国主義の名残が・・・」とか、「文部省の右翼的勢力が・・・」とか、「戦後、『日本人は奴隷でよい』と考えた闇のユダヤ勢力がGHQを通じて日本政府に圧力をかけて・・・」といったような気の利かない解答しか持ち合わせがありません。
 まして、「非常に馬鹿馬鹿しいんだけど、やらなあかんの?」と聞いてきたら?
 その日に絶句しないためにも、力強く「いや、お前達子供にはわからんけど、アレは良いものだから、ぜひやりなさい! いずれお前たちもわかるから!」と答えられるような気持ちになっておきたいのですが。 困った。 
 まったく、何が良いのか、理解しかねます。
 特に5年生の時にやらされた「ちゃっきり節」。あの間の抜けた踊りと歌詞と来たら!