新聞2題

●ゴミ届けます

 新聞の集配所の前に、「なんと! 朝夕刊が月々4400円で!」と大書きしたノボリが立ててあった。

 この「なんと!」の部分に、作った奴の「毎日2回も物理メディアを家まで届けてもらってこの値段って、意外と安いでしょ?」という意図が垣間見えて少しイラっとした。 コイツは、今時4400円あったらサブスクが何本頼めるか知らないのだろうか。絶望的にズレたキャッチコピーである。

 手元のスマホをポチれば無料で見れるニュース(しかも昨日の物)など、情報商材としてどれほどの価値があるというのだ。 百歩譲ってそこに価値を見いだすとすれば、新聞ならではの記事のチョイスや深掘った内容、つまり作り手の知見やセンスその物に対してしか無いのだが、「なんと! 4400円!」と得意げに放言してしまう様な時流の読めない輩にはむしろその部分こし期待ができないだろう。 

 もはや新聞紙(物理)とか、近隣のチラシを入手する手段としての方が価値が高い気さえするなぁ。

 

●カウントダウン

 実家に帰ったときの楽しみの一つと言えば、新聞の折り込みチラシ。 特に電気屋や不動産関係の物が、世の中のトレンドが良く現われるのでけっこうお気に入りだったりする。

 

 ところがここ数年、驚くほどチラシの枚数が減っている。これは推測だが新聞の部数が少なくなったことで、広告主にとっての魅力が激減してしまっているからだろう。

 新聞を惰性で取っていた団塊世代が80代にさしかかっている昨今、様々な理由で新聞を「卒業」してしまっているであろうことが大きく痛手になっていることは間違い無い。その上、この脱新聞の動きは加速はしても揺り返しは起こらないだろうし、もはや完全に死に体といえる。

 

 そして不思議なことに、最近は新聞本体までなぜかボリュームが少なくなっている気がする。極端な話、夕刊かと思って手に取ったら朝刊だった、みたいな。

 食品とかならステルス値上げかって思うけど、新聞コストにとって紙代なんか微々たるもんやろし、なんでページ減に踏み切ってしまったのだろうか。

 「記事なんか多少減らしても価値変わらないんで」と判断したんだとしたら、情報メディアとしてかなり末期の自己否定から、さすがにそれは無いと思うし。

 なんでだろう?