ピアノ狂想曲

 嫌いです、ピアノ。
 そしてその黒いあんちくしょうが思わぬ波紋を引き起こしています。あぁますます憎いったら。


 いえいえ楽器として嫌いな訳ではありません。「習い事としてのピアノ文化」が気に食わないのです。
 何が、ということに関していろいろ内省してみましたが、ポイントは二つ。


・役にたたなさそう
 オトナになってもピアノ弾いてる人、身の回りにあまりいない気がします。「応接間にアップライトピアノが放置されている家」よりもはるかに少ないと断言します。 
 何とはなしに確立された「音楽系習い事のといえばピアノ」という文化のせいで、日本中の狭い住宅に黒い巨体が使われもせず死蔵されている訳で、こりゃあなんとも罪作りではないですか。
 それがギターとかだったら、なんか「生涯の趣味」として人生の厚みを増すためにもっと活用される気がします。
 習い事の教育的効果としても、「ピアノならでは」ていう部分てあまり無いような気がするですよ。まったくなんでピアノなんだろう。バイオリンとかと違って、とりあえず聞ける音が出るからかなぁ。
 発表会にも金かかるし、なんだかコストパフォーマンス悪いと思うです。 ダイヤモンドや恵方巻き同様、業界関係者による作られた価値観に踊らされている感じさえします。←考えすぎ


・つまらない
 ピアノってみんなやってるじゃないですか。習い事の王道というか。
 それがどうした、というなかれ。私にとっては大事です。
 「人と同じことをする事はつまらぬ」という人生指針が私にはあり、特に大多数が右になびくから自分も右に、という行動は反吐が出るほど嫌いです。「みんなやっていること」自体が選択をさける十分な理由になります。
 まぁその自分の生き様を、我が子供に強いるつもりはあるのですが、今までの人生この嗜好による損と得とを天秤にかければ、やや得の方が多いように思います。
 「人と違うことをする」というのは大層落着かない物ですが、積上げたロジックと判断力でその恐怖と焦燥感をねじ伏せて、果実をもぎ取ったときには無常の喜びがあるのですよ。
 何でこんな私になってしまったのかはわかりません。幼き日から、人と同じ物を欲しがったりしたらオカンに「人と同じことしてどうする!」とえらい怒られて来たのも理由かもしれません。


 で、まぁ想像つくと思いますが、それなのに子供が「ピアノやりたい」と言い出している訳ですよ。
 紆余曲折ありましたが、まぁ「子供自身の遊び=うれしい」という所に価値を見出すことで自分を納得させました。 遊園地つれていくのと同じ扱いというか。娯楽費ですな。
 「とーやん、お前が少しでも嫌がったり怠けたりしたら、喜んで即やめさせるから! それに、ほかの事と違って、いつ止めてもらっても良いから!」と宣言しました。 オトナゲ無いですな我ながら。


 なんだか今回の書き込み、多数の「隠れピアノ経験者」の方の気分を害したかもしれませんが、個人的な意見なので気を悪くしないでください。いや悪くすると思いますが。