最近しきりにアドバルーンがあがっているホワイトカラーエグゼンプション(通称・残業代ゼロ法案)。
表向きの狙いは、「長時間労働をやめるようにしむけて、日本の生産性を上げる」というものだが、「時間では無く成果に金を払う→無駄な労働をしなくなるので生産性があがる」というロジックに、非常に違和感というか、欺瞞を感じる。
隠された前提が多すぎるのだ。ざっとあげただけでも、下記の条件が必須だ。
1、「成果」が適切に評価される。
→言うまでも無く必須。
2、「成果をあげること」が「生産性の向上」につながる。
→社内で評価される「成果」って、利益につながっているの?
無価値なアウトプットが評価されるのなら、生産性なんて上がりようがない。
3、「成果」と労働時間の関係性がゼロ、もしくは限りなく薄い
→多かれす少なかれ、「時間をかければ成果が上がる」、という側面があるのなら、
他人より多く成果をだすために「我慢比べモード」に入る可能性は高い。
おそらく大半の成果主義が、相対評価で給料きまる設計なわけで。
さて、どの条件もかなり実現が望めない、もしくは限定的な内容ではないだろうか?
そもそも、この制度が導入された状態を想定するには、思考実験さえ不要なのだ。
今この瞬間にも、管理職や、みなし管理職として残業代ゼロで働く人たちはすでに大勢いる。彼らを見るが良い。
成果のみで評価されるハズの、彼らの生産性はどうだろうか?
「成果を上げていれば、早く帰って文句を言われない」という風土になっていますか?
そう考えると。
この法案をゴリ押ししている企業のホンネは、「だって、使えない奴に金払いたく無いんだけど」なのだろうが、それが実現するかすらも懐疑的だ。 「遊んでいるようにしか見えない、クソ使えない管理職の給料、思いっきり安くしてみろよ!」と思う。メリハリをつけてインセンティブを与える度胸はない企業が大半ではなかろうか。
結局大半の企業では、給料に大差をつけられない中、「生活残業していた、使えない奴はさっさと帰るようになる。があまり給料は下がらない」「全体的には人件費を圧縮」という状況になるのではないだろうか?お荷物社員と経営側ばかりがトクする状況、これは士気をさげること間違いない。