豊かさ=貧しさ

 フェラーリと言えば、ある印象的な光景を思い出した。 
 スペインでの新婚旅行の途中、海辺のバカンス地に行った時の事。 
 南欧の青空の下、海岸線脇のだだっぴろい(片側5車線ぐらい)の道路を、赤いオープンのフェラーリが快音とともにかっ飛ばしていったのだ。
 運転席にはグラサンの若い白人、助手席には金髪の白人女性(同じくグラサン)。
 底抜けにライトで明るく、鬱屈した負の感情を全く感じさせない光景。なんというか、「あー、『余裕』ってこういうことなんだなー」と思った。 「アハハハ、ボクんち300年間働いた事なくて、これからも働く予定ありませんけどそれが何か!」みたいな。
 それ以来、国内でフェラーリを見ても、なんだか豊かさを感じない。 どんなやり方で金を使い欲望を満たそうが、それは人の勝手というものだが、湿度の高い空気と狭い道路の中で見るフェラーリは、どんなに金がかかっていようとも、度量の小さい贅沢観念を感じ取ってしまう。
 「上品な老夫婦が乗っているオールドフェラーリ」とかならまだしも、「キャリアに乗ってサーキットに向かっているフェラーリ」なんかみると、もう社会科の資料集でみた「暗い足元を照らすために百円札に火をつける成金」とかおもいだしてしまう。(あー本当に大きなお世話だよ)
 というわけで、もし万が一何かの拍子に金持ちになっても、フェラーリはかわんだろうな。いらぬ心配ですが。
 まぁ清水草一とか見るとあれはアレで楽しそうで、欲しくはなるんだけども。キダスペシャル!