身の程とは。

 中学、高校時代の自分の成績はとても良く憶えているので、基本的に自分の脳のデキに関して、「もうちょっと何とかならんかなぁ」と常々思っている。
 元来、頭の良さなんてものは、色々な要素から成り立っている総合力だということは分かっている。記憶力、理解力、応用力、それに努力が継続してできることも大事だ。あと味付けに興味を持つ心なんてのも必要だし、そして案外効くのがストレージされた知識そのもの・・・。 どれが欠けても、バランスのいい頭の良さとは言えない。
 では自分には何が欠けているのか、という視点に移るのが健全な思考というものだが、私の場合多感な思春期を通してあまりにヒドイ成績を取り続けてしまったために、「俺ほんとアタマ悪いなぁ」という劣等感がもう完全に精神構造に織り込まれてしまったのだ。 学力と頭の良さは等価ではないが、本当に能力の優れた人間が学力ごとき確保できないというのは、考えにくいじゃないですか。

 そんな訳で、自分の子供が生まれるとなった際、五体満足の次に望んだのが、「せめて自分よりは良い頭を」だ。
 (「人間は生まれつきみんな同じ能力を持っているのよ! 無限の可能性は誰にだって平等にあるわ!」といった寝言は、陸上短距離の世界記録を(黒人を抑えて)黄色人種が総なめにする日まで信じない事にしている。)

 で、そんな視点でも子供(大)の成長を見守ってきた訳だが、もう4歳になり、だんだんと地アタマの具合がわかって来た。自分より良いかどうか、は分からないが、教えると物事をそれなりに理解していくので、最低限のレベルは確保している模様。

 安心した・・。 が、反面、隠しようも無く頭がいいレベル、と言う程でもない。
 つまり「素材として良くも悪くも無い」という事なので、今後どうなるかは全くもって育て方次第(つまり親の責任)、ということになる。

 そうなると、それはそれで責任が重いなぁ・・・・・。 悩みは尽きない。