話し変わって

 よく、「偏見はよくない」、という。 
 しかし私は、偏見というものは、紙が与えてくれた素晴らしい能力だと思う。
 今までの経験や外見を元に、情報の少ない状況でも、一番可能性の高い解を示してくれる仕組みだと考えているから。 そして実際、当たる確立は低くない。これは凄い事だ。
 もし人間に偏見という機能がなかったらとしたら。初対面の人間に出会ったとき、どう対処して良いか全く分からないで困るだろう。全ての人を疑うか、信じるかしないといけなくなる。(それか全くのあてずっぽうで態度を決めるか)。それはとても恐ろしい事だ。
 たとえば、治安の悪い場所で目つきの定まらない小汚いオッサンに声をかけられても、警戒して良いかどうかわからないのだ。逆に、身なりの良い上品なお年寄りを前にしても、暴力を振るってくる可能性を排除できず、怯えないといけない。
 むしろ戒めるべきは、「他の可能性を完全に排除してしまう事」や「いったん決めた偏見に執着する」ことだろう。そう、偏見という直感だけを無思考で受け入れ、その後新たな情報の入力があっても、それを元に考えようとしない態度こそが有害だと思うのだ。
 
 
というわけで、先述のパンクな母さんは、「実家は大金持ちだが厳格な家庭で、それに反抗しああいう格好をするようになったが、性格はやさしくて良い人」という設定になりました。俺の中で。・・・・もやしもんの長谷川さんですか。