かつてない感染者数の増大のもと、またもや緊急事態宣言下に突入している兵庫県。
が、諸々の制限もかつてなく厳しい・・というわけではないのが不思議なところ。
会社の方はお上から通達が来ているのか、出張の停止や在宅勤務推進の再通達が出ており少し意識は高い。
が、「まぁでも業務は優先ね」みたいな思惑も見え隠れはするし、かたや生活の観点では下記の様にさらなる「緩さ」を感じる。
・通っているNHKの文化講座は、今までは緊急事態宣言が出たら即長期休講だったのだが、
今回は「厳重に対策して継続します」。
・デパート等は営業停止まではしておらず、時短程度。
結果として 電車の混み具合や人通りの減少はそれほど感じず、明確なガイドラインが敷かれている外食産業以外は「政府が言うからちょっとやってますよ」感がハンパない。
この空気感を醸成している原因の一つとして、オリンピックやパラリンピック、甲子園の開催はやはりあると思う。
「オリンピック自体はコントロールされているから、感染者数は増加させない」という理屈はわかるのだが、本質はスポーツ大会だ。 「コロナを抑制しつつ社会を最低限に運営するため」という切り口で見ればあきらかに「不要不急」だろう。
切り口を変えて、「頑張ったスポーツ選手のため」「国民に勇気と生きるエネルギーを与えるため」には「要・急だった」という判断もありうる。が、その観点なら個人レベルでは「自分の息子が頑張った運動会」や「大好きな趣味に関すること」「生活がかかっている会社や店舗の運営」の方がより大事、というのは自然な判断だ。
それに、日本人は理屈じゃ無くて空気感で判断する面も強い。個々の行動を自粛方向に誘導したいなら「お通夜の様な空気」を醸成する必要がある。 文字通り志村けんのお通夜だった昨年4月頃は、世の中の空気と行動はまさに末世であり戒厳令だった。
元来、日本国民はいつ噴火するか分からない富士山の横に首都を構えて平然と暮らしている程だ。安心安全と騒ぐ様で、馴れてしまえば性根は図太い。 常に燃料をくべていないと緊迫感とそれに頼った自粛は長続きしない。
その中でスポーツ大会という「お祭り」の敢行は、コロナ対策という面ではいかにも悪手だったなぁと個人的には思う。