美人論

 以下、美人について考えたこと。
 (おそらく同様の主張が書いてあるんだろうなぁ、というタイトルの本を見かけた記憶があるので、目新しい考えでは無いと思う)

 俗に、「美人は年をとらない」という。
 「女優の誰々は年をとってもキレイ!」程度の他愛ない話だが、そこに(もちろん例外や程度問題は多々あるものの)、そういう事実があるものとして話を進める。確かに、吉永さゆりや黒木瞳とかが俗によく例にあげられる様に、年をとっても美を保つ人間はいるような気がするし。
 なぜそういうことが可能かに関しては、「テレビの中だけだ(化粧と撮り方でなんとかしている)」とか「美が商売道具だから、エステだったり食事だったりに猛烈な金と気を使っているのだ」
という解釈が一般的だ。 
 
 それは確実にそういう部分があるとは思うが、別の角度から考えてみた。「美人は年をとらない」んじゃなくて、「年をとらない人間が美人なのでは?」と。


 そもそも「美人」の基準てなんだと考えるに。文化的に設定された側面(はやり・すたりや、文化で大きく異なる部分)と、それらにあまり影響されない部分があると思う。
 後者の部分は、肌がきれいだとか、健康だとか、太りすぎたり痩せ過ぎたりしたいないとかが該当すると思うが、それは「生物としてデキがいいですよー。生殖相手に選んだら優秀な子孫残しますよー」とアピールする要素という点で共通する。

 逆にいうと、そういう「良きメス」と外見で判断できる要素がそろっていると、オスは「美人」と判断するわけだ。そしてそれが本来の(男性から見た)美の理屈ではなかろうか。
 一般的に美点とされる「肌が白い」なんてのも、「肌のトラブルが見つけやすいから」だろう。
 「白が服が清潔感がある」という話と似ている。(あれは白い色自体に殺菌効果や防汚効果がある訳ではなくて、ただ汚れが良くわかるだけだから。ひょっとすると脳ではおなじ回路を使って審美しているのかもしれない。)
 
 で、「美人は年を取らない」話にもどると。
 今までの論を拡張して、「年をとらない(加齢の影響が少ない)ような個体がもつ特徴を、美としているのではないか」という仮説をたててみたいのだ。
 農耕民族では、肉体的な能力(足が速いとか、力持ちとか)がものすごく秀でているよりも、「年取っても、若いときと同じくらい労働できる」方がきっと有利な性質だろう、というのがその根本的な理屈だ。 (生殖年齢を超えても肉体が衰えない形質は、どうやって遺伝するんだ、という論はいったんおく)
 じゃぁ狩猟民族はどうなんだ、というと、あれは「獲物を捕まえられるか捕まえられないか」によって結果が全く異なる(ゼロか飽食か)世界なので、ある程度以上肉体能力が高くないと生存できない(子孫を残せない)。また、その「ある程度以上」もかなり高いレベルでないといけないし(動物の方も捕まえられ無いように一所懸命だ)、肉体能力も高ければ高いほど獲物を得るのに有利だ。
 加齢の問題で言うと、子供は狩猟に役にたたないので、「いち早く成熟してピークの肉体能力に達する」のが有効な戦略だろうし、「ピークを過ぎたら(獲物が取れなくなったら)急速に老いて死ぬ」のが、集団としては有利だろう。
 そういう目で世間様をみると、白人女性とかは急速に成長し、老いるような気がする。(ハーマイオニー・・・・)
 

 これは女性の側だけの話ではなく、男性の志向もそうではなかろうか。中国出張に良く行く元上司の証言にいわく、
「現地のおねぇちゃんをつれて歩く男をみるに、黄色人種は若くて可愛いのをつれている事が多いのに対し、白人は老けたのを連れている。『おめぇそりゃねぇだろぅ!』という
ババァと腕を組んでいる白人を見かける事も多い」
 そう、「平均して白人はフケ顔(おそらくは早く成熟するサイン)が好き」なのでは。そして遺伝子の命じるものを受けそこなってしまう(もしくは受けすぎてしまう)人もたまにいる、と。
  

 どうでしょうかこの仮説。 
 結局「美人は生まれながらに老化が遅い。(非美人は美人じゃない上に老化が早いので踏んだりけったり)」という救いようの無い話なので、妻には受けが悪かったです。