せんせいあのね

 せんせい、あのね。 お父さんのことでいろいろあったから、せんせいにおしえてあげるね。

 

 

 2がつに、お父さんが入院して、おなかの悪いできもの(がんっていうんだって)をいカメラでとった話は言ったよね。大せいこうだったとお医者さんは言っていたよ。さすが、お父さんのお気に入りの中央市民病院だよね。

 でもお母さんは 「年寄りの手術なんかそんなうまいこといかんでもなぁ。その成功ほかの人に回したらええのに」 とこまったような顔をしていたよ。

 そうして、お父さんは数日して退院したんだけど、じつは直接はおうちにもどらずに、まずは10日ぐらいしせつに行ってもらったんだ。ぼくが前もってよやくをしておいたんだよ。

 というのは、退院後すぐはなにがおこるかわからないから、とりあえず人の目がある所にいれておけば安心と思ったの。かしこいでしょ?

 まえに2,3週間ぐらい入院したときは、足が弱ってしまって大変だったらしいんだけど、こんどは数日の入院だったからそんなことはなくて、本当によかったよ。

 でも、お父さんを病院からしせつまではこぶのは、ぼくのおよめさんがやっててくれたんだけど、病院としせつがちゃんとお話していなくて、すごく大変だったらしいよ。 

 とくに、しせつへの入所に足りないものが後からわかって、それを取りに行くために、しせつとぼくの実家をなんどか往復したのがとても疲れたんだって。 本当におよめさんには頭があがらないよ。

 

 そうして10日たって、お父さんはやっとそのしせつからも出ておうちに戻ってきたんだけど、そのときお父さんはげっそりしていたよ。「地獄や。あそこは地獄や。」とも言っていたよ。

 しせつには、死ぬのをまっているだけのミイラみたいなおとしよりがたくさんいたらしくて、お父さんはそれがいやだったんじゃないかなぁ。

 

 そんな弱ったお父さんがおうちにもどるんで、ぼくやケアマネージャーさんやおよめさんは話しあって、にゅういん前よりヘルパーさんをふやしたりとか、ヘルパーさんに毎日のごはん作ってもらうだんどりとか、前もっていろいろ用意をしていたの。 

 

 

 でも、みんなムダだったんだよ。  お父さんがまたすぐに病院にはいっちゃったから。

 

 

 それは、お父さんがおうちにかえって2日目の朝、ヘルパーさんが来たときだったんだけどね。 おうちのカギがあいてなかったらしいの。

 で、ヘルパーさんが勝手口から中に大声で呼びかけたら、かすかに中で声はするらしいの。はっきりしないけど、どうもベッドから落ちて動けないみたいだったんだって。

 

 それから、ヘルパーさんにれんらくをうけて、ぼくのお兄ちゃんがカギをあけて見に行ってくれたんだけど、そしたら血の海のなかにお父さんが冷たくなっていたらしいの。

 

 

 お兄ちゃんはちょっとびっくりして救急車をよんだんだけど、まだ生きていたから、お父さんは結局、大好きな中央市民びょういんにもどっていったのね。

 まだ2月の寒い時期に、長い時間ゆかにたおれてたから、たいおんがありえないぐらい下がってたらしいよ。すごいよね!

 あとからお医者さんがいうには、いのがんを取ったあとがやぶれて、血がいっぱいでたんだろうって。 お父さんは、長年のとうにょうびょうでけっかんが弱くなってるし、とうせきのために血をサラサラにしているおくすりを飲んでるから、すごく血がでやすいんだって。 

 お母さんは「せんでもええ手術を、みんなにわがまま言うてやるから、バチがあたっとんのや!」ってこわい声でいっていたよ。

 

 

 それでね、しばらくにゅういんしたあと、お医者さんが 「胃はすっかりもう大丈夫です。 すぐにでも退院できるのでご準備おねがいします」 ていうんだ。

 けれどもお父さん、こんどの入院は少し長かったから、前にしんぱいしてたみたいに、ほとんど歩けなくなっちゃってたの。 このままおうちにもどったら、みんなすごくこまるよね。

 しせつにいれようにも、ケアマネージャーさんは 「透析の対応をしてくれる介護施設はすごく少なくて、空きが無いんですー」のいってんばりで、てんでやくにたたないの。ほんとうに使えないよね。

 お母さんなんか「外国でもよいからどっかないか。フィリピンとか」って言ってたけど、ケアマネージャーさんは困った顔をするばかりだったよ。

 まぁでも、ぼくたちかぞくも困るよね。それで、病院に相談したの。「足がせめて入院前ぐらいに戻るまで、面倒みてもらえるような病院はないでしょうか」って。 そしたら、とうせきしせつのある病院で、受け入れてくれる所をみつけてくれたんだ。中央市民のパワーはすごいよね!

 

 というわけで結局お父さんは、おうちには2日いただけで、また入院することになってしまったの。 お母さんはこの時も「みんなの言うこと聞いて、おとなしく手術せんとすごしとったらあのまま家におれたのに。あほや。」っていっていたよ。

 

 2月はそんなかんじで大変だったんだけど、ようやくぼくたち家族はおとうさんのことからいったん考えないですむようになったの。

 

 

 

 そして3月に入ってしばらくしてね、病院にケアマネさんといっしょによばれたの。

 「お父様の退院なさってからのことを話し合いましょう」と。

 話し合いのとちゅう、お父さんもちょっと出てきたんだけど、「ここは監獄や! とにかく家に帰してくれ!」と大きな声で繰り返していたよ。

 ぼくは、話し合いの中でスタッフの人から、お父さんがリハビリをなかなかしてくれないことを聞いていたから 「それやったら、ちゃんとリハビリしーや!」 ておこったんだけど、お父さんは「とにかくここは監獄や! 人間のおるところやないんや!」とばっかり言ってたよ。 スタッフの人がみんないるのに、気を悪くしなかったかなぁ。

 この病院に入るときもお父さんは 「この病院は生きて出られへん。地元でも有名や」 とか 「院長が朝鮮人やから金のことしか考えてない」 とか言っていて、またお父さんはなにか思い通りにならないことがあると、そういうことを平気でわめきちらして人を傷つけつつ恫喝していくスタイルなので、病院の人も気を悪くしていないかしんぱいなの。

 

 まぁでも、おとうさんも強く帰宅をきぼうしているし、足の方も、「手すりを伝いながらすりあしでうごく」ぐらいは出来るようになっていたから、退院後はおうちにかえる方向でちょうせいすることになったの。いちばん大きかったのは、「透析患者が入所可能な施設に空きが無い」ということだったけどね。

 

 ただ、病院としてはすぐにでも退院してほしそうだったんだけど、ぼくからはできるだけひきのばしてもらったの。それは、いろいろじゅんびがひつようだったから。

 おうちのてすりとか、べっどとかトイレのじゅんびも大変なんだけど、ヘルパーさんとかの手配もたいへんなんだ。

 だって、お父さんは入院するまえよりもういちだんボケがすすんでしまってて、一人暮らしをするには、ヘルパーさんも一日2回ペースで入ってもらわないと無理そうだったのね。 そのためには、かいごほけんの認定のレベルをあげてもらわなくてはいけなくて、それが4月のなかごろになりそうだったの。

 

 話し合いにあつまったスタッフのうち、いちばんお父さんとふれあっている時間の長いリハビリの先生は「ひとりぐらし・・・できるかぁ?」とかなり首をかしげていたけれど、ケースワーカーさんや他のスタッフさんに押し切られていたよ。

 病院のうんえいサイドとしては、「ご本人のご意向を尊重してあげたい」というたてまえもあるし、「家族に責任をもってひきとってもらう」のがいちばん楽だからのようだったよ。

 

 でもぼくたちとしても、何がなんでもおうちに帰すという気はなくて。

 病院のケースワーカーさんが 「介護認定がでる4月中旬にまた関係者で会って、話し合あったうえで進めましょう」というし、いまのだんかいでは「方針を決めた」ぐらいだと思ったんだ。

 だって、もし認定がおりなかったらヘルパーさんをたくさん頼めなくなって、おうちにひきとるのはムリだし。 それになにより、1ヶ月いじょうも先のお父さんのじょうたいはだれもわからないからね。 だから、「4月中旬の打ち合わせで詳細決定」はそんなもんだろうと思ったうえで、「そこからの準備も有るので5月退院でお願いします」と言ったよ。

 

 

 そうして3月はおわって、4月にはいった今週ね、またじょうきょうがかわったの。

 

 

 きっかけは、ケアマネージャーさんからのでんわだったんだけど、「退院は4月末にに決まりました」っていうのね。それにぼくは 「準備のために5月退院にしてって言ったのに、さらっと早まってるやん。4月中旬に方針を最終決定してから、時間がなさすぎるやろ」って思ったの。 

 それに、あまりに「家に引き取る」ことをありきとして話をすすめるケアマネさんの話し方にもいわかんをもったの。

 だからね、ケアマネさんは使えない人なのでラチがあかないから、病院にちょくせつでんわしたの。そしたら病院とも話があわなくてね。

 病院は 「ご家族が家に引き取るって言ったから、こちらは他の可能性は考えていませんよ? それにどのみち4月中旬時点で『やっぱり施設にいれてくれ』て言われても、そこからすぐには準備無理ですから。たとえ5月退院でも間に合いませんから、4月末退院でもいっしょです。だからおうちの準備も今から早急に進めて下さい」 というの。

 こっちはこっちで、「だから、現段階では『ぜったい家に引き取る』なんか言えませんって。介護認定のレベルUPがもし認められなかったら、自費でのヘルパー手配は到底不可能です。それに、ここから痴呆が凄く進むかもしれないんだから、そうなったら現実的にも家庭での受け入れは無理ですよね。」というんだけど、おたがいの立場がちがうからしゅちょうがへいこうせんなの。

 とうぜん、むこうも同じ事をくりかえすばかりで話がすすまないから、

ぼくから 「だったら結局、『4月中旬での話合い』で何か決めるってのは無理で、現在の先行き不透明な段階で『家か』『施設か』を決断する必要があるってことですよね」て聞くと、「まぁそうだ」って言うのね。

 だから、「だったらはっきり言います。『施設さがしてください』です。今の段階でできる決断だったらそれしかないです。 他の病院への再転院でもいいです。」とお願いしたよ。

 それで病院のひとは「ご本人は強く拒否するでしょうから、説得はご家族にしてもらいますからね」 とかぶつぶついってたけども、とにかくお父さんの今のじょうたいをかくにんしてから、うけいれてくれる所をさがしてくれることになったの。

 そうだんにのってくれたひとは、病床のたんとうじゃなかったから、お父さんの今のようすをしらなかったのね。

 

 

 

 こうしてこのしゅんかん、おとうさんは、にどとおうちにはもどれないって、きまってしまったの。 かなしいね。

 

 

 

 そして、つぎの日にね、病院の人から電話があったの。ちょっとこうふんしていたよ。

 「奇跡的にワクが一人あいていました! 透析対応の老健が! 需要にたいしてキャパが少ないから常に人気で、すごく珍しいんですよ!」

 きいてみると、そこはまえにケアマネージャさんも狙ってたけどいっぱいで無理だった所でした。それが、さいきん一人あいたばっかりだったんだって。

 「老健は3ヶ月が滞在期限なんですけど、ここはグループに特別養護老人ホームも二つ持ってるからそこに入りやすくなるし、すごく良いと思います。

 それに・・・昨日は『お父さんの説得はご家族におまかせする』と言いましたけれども、それは結構です。こちらで対応可能です。」

 「え、それはどうしてですか?」

 「お父さんのご状況をあらためて確認したんですが、もし施設への移送の時にご本人がご反対されても、うちのスタッフが先方に『痴呆が進まれていて・・』と説明することで施設の方にはご理解いただけると判断しました」

 「・・『だれがみてもボケてるから、本人の発言は無視して進められる状態』ってことですか?」

 「・・・・まぁそういう・・ことかと・・・」

 

 お父さん、入院でだいぶボケがすすんじゃったみたいなの。

 

 きのうはね、病院のひとも、「いまさら施設さがすのかよ」って感じだったんだけど、今日はみょうにまえむきなのね。

 それは、きっと、本人をかくにんして「こら家で面倒見るのは無理やわ」って感じたんだとおもうの。

 そういえば、前はお父さんからあれだけかかってきていた電話が、最近はめったにかかってこなくなったり、着信が3コールぐらいで取る前に切れてしまったりで、なんだか様子がおかしかったの。 お母さんやおよめさんが言うには、話の内容もおかしいし。「わしはもう病院からでられへん」とか「病院がわしの土地を取ろうとしとるんや」とか言うらしいのね。 やっぱ入院ってこわいんだなぁ。 いったいなんのための施設かわからないよね。

 

 それでね、病院のひとは言いにくそうに、こうもおっしゃるの。

 

「あと、もう一つの選択肢として、『病院に転院』というのもございます。 お父様の場合、すでにお体に治す箇所がないので本来は無理なのですが、探せば受け入れてくれるところはあります・・・・」

 

「正確には『治す所がない』ではなく、『治せる所がない』ですよね? 足も内臓も、悪いところはいっぱい有るんで。」

 

「そうなんです。ですから、それでも残る医療的な処置は透析しかないんですが、それを『治療行為』とすることで入院可能な所が探せばあるんです・・・。

 お父様のばあい、健康保険を使える入院の方が圧倒的に費用が安いので、こちらも選択肢として提示せざるを得ないんですが、お父様のためにはオススメしません。

 病院は生活の場では無く、治療以外のプログラムが無いので楽しみや刺激もありませんし、スタッフとの接触も質・量ともに最低限です。 また、そういった病院は立地がたいてい凄く遠くで不便な所にあります・・。」

 

「そうですか・・・まぁでも、病院だから入院の期限があるんですよね?」

 

「いえ、透析を治療ととらえての入院であり、そして腎臓は治りませんから、事実上無期限に入院可能です」

 

「それは・・家族は安心ですし、費用的にも非常に魅力はありますね・・・」

 

「はい。現実的にはお金のことは大事ですので、ご家族で決めて頂ければ・・・」

 

「分かりました。すぐに母と話し合って、決めます。」

 

 

ということでね、お母さんに決めてもらったの。

 

 

それで、お父さんには、病院じゃなくて、施設に入ってもらうことになったよ。

 

ほんとうは、ぼくの話のもって行きかたで、結論がどうにでもなりそうだったから、施設になるようにちょっとゆうどうしたの。 しょうじき、お母さんは費用がかからないし、あとは死ぬまで放置しておける病院にかなり魅力を感じていたからね。

 

 だって、そういう病院って、たぶんもう物も言わないようなおとしよりが、イロウ入れられてずらっとならんでいるような、マトリックスみたいな所だよね。 それはさすがにお父さんかわいそうっておもったの。

 

 ぼくは、じぶんがおもっていたよりは、ちもなみだもあるみたいで、われながらちょっといがいだったよ。

 

 せんせい、どうかな?