ハングリーは遠く

 子供の誕生日が年の後半に集中しており、そこからのクリスマスや正月というスケジュール進行は子供へのプレゼントが多い時期。

 そこで毎年痛感するのが、子供の無欲さ。いや、無欲とも少し違うのだが、自分の子供の時とは違うなぁと痛感させられる。「欲しいプレゼントは?」と聞いたときに、うーんと考えるのだ。

 「欲しい物がもらえるという機会は逃したくないのだが、さりとて日頃から欲しいと思っているモノが無く、聞かれてからひねり出す」といった印象。 しばらくま待っていると、「ちょっといいなとは思う」ぐらいの物が挙げられるので、こちらとしても「それ本当に欲しいの?」と聞いてしまう。

 結局、「権利として保留」とか「決めた額の好きな本を買う」とかそういうのになってしまうのだが、モノに対する欲望の希薄さみたいなものを非常に感じる。俺が子供の頃なら欲しい物を絞り込む方で悩んでたぜ。

  会社で同じ年頃の子供を持つ人達に聞いてみても同様な答えが返ってくるので、うちだけの現象では無い模様。

 

 やっぱり物が溢れていることが一因なのかなぁと思う。ザブザブと。

 少なくともうちの子供達は「欲しがる物は何でも買い与えられてきた」訳では決して無い。無いのではあるが、「欲しがらなくても既にだいたいの物が存在した」状態ではあったのかなと思う。 だってお下がりで色々もらえるし、フリマにいって1000円も使えばプラスチックの玩具は山のように購入できてしまうし、普通に買っても昔よりずいぶん安い。 だって1000円しないラジコンもあるんだぜ。考えられない。

 

 「意識的に捨てないと、勝手に物が増えて物が溢れてしまう」という状況、歴史的にみればなかなか無い状況とは思うのだが、オモチャに限らずそんな中で育った彼らには「モノが沢山あるのが贅沢」という感覚は全く無いだろう。

 そんな世代が主流派になった世の中はどうなってしまうのか、なかなか面白そうだと思う。

 

 ちなみに、そんな彼らが例外的に欲しがる物は、スマホとゲーム。 だがほいほい買い与えられるものでもないことが向こうもわかっているので簡単に要求はしてこない。

 両者に共通していることは、純粋なモノではなく付随した体験が価値の大半を占めるということだな。