こどももかんがえる

 子供の頃の記憶、というのは多くある。 しかし子供の頃に感じたり、考えたプロセスそのものを明確に思い出せる物はあまりない。

 というわけで、(すごく取るに足らない個人的な点景なんだけども)なんとなくそんな気になったので書き残しておく。

 

●その1

 幼稚園にて、雑誌の付録か何かで、厚紙をミシン目に沿って切り離す物があった。 きっと切り離した部分がお面になるとかだったと思う。

 そして、当時「この作業は俺には出来ない・・・」と判断したことを憶えている。

 この複雑な(と当時は感じた)ラインに沿って手でミシン目を切り離していくのは、俺の器用度では不可能だ、絶対にコースアウトして肝心な所を破ってしまうに違いない、と。

 で、先生に「これやって」と持って行くと、先生はまたたくまに、ハサミでミシン目をなぞるようにキレイに切ってしまった。

 手でさえ無理なことが、ハサミという道具を使って成し遂げられてしまったことに当時の自分はすっかり驚き、「先生はものすごい器用なんだね」みたいなことを言ったら先生は「これぐらい普通だよ」と答えた。

 それを聞いた私は、「大人というのは子供に較べて圧倒的に器用な物なんだ! そして自分を含めた子供というものはみんな不器用なのか!」とさらに驚きを重ねたことをおぼえている。

 

●その2

 母曰く、私は「上の兄二人に較べてちょっと賢かった」とのことで、母は私に幼稚園のころから小学校1年生用のドリルを試させていた。

 で、算数ドリルは快調にこなしていたのだが、漢字ドリルという奴はどうにもいけなかった。「上」といったような単純な漢字のシルエットさえ、何度見ても書いても、目を離した瞬間に脳からサラサラと水痕一滴残さず流れ去ってしまうのだ。

 「なんでこんなにも憶えられないんだ?」ということが我ながら不思議だったことを今も良く憶えている。

 そして結局この漢字ドリルは何日努力しても1ページ目さえクリアできず、母が「まだ早いんやな」といって棚上げしてしまった。

 で、小学校1年生になってから、件のドリルを再び取り出してやってみたら、なんなく記憶できた。たしか一日に2ページペースぐらいで進むことができた様に思う。

 自分でもその変化に驚いて、「あぁ、なんだかあのときは(といってもほんの数ヶ月前なんだけども)自分は『まだそういう状態じゃなかった』んだなぁ」と強く思った事も強く心にのこっている。

 

●その3

 上のような事をかくと、こまっしゃくれたガキだった様な気もするが、ほほえましい部分もあったのだ。

 それは「ゲゲゲの鬼太郎(墓場の~だったかもしれない)」の単行本を買ってもらって、むさぼるように読んだときのこと。

 鬼太郎が、手の指の先端を弾丸の様に発射して悪い妖怪をやっつけた、みたいな話だったと思うのだが、そのコマの解説に「ふつうの人間は、指をとばすと二度と生えてこないが、鬼太郎はなんどでも生えてくるのだ」と書いてあり、私はそれに非常に驚いた。

 「『ふつうの人間は指をとばすと』・・・・ってことは、ふつうの人間は、鉄砲みたいに指をとばせるんや!!」

 にわかには信じられず、なんども読み返しても間違い無い。 この書き方なら、指をとばせることに疑いの余地は無い。

 とはいえ、自分の指をしげしげと見ても、指先は第一関節でしっかりつながっており、簡単に切り離せそうな気配は無い。親に聞いてみても「とばへんそんなん」と否定される。

 いろいろ考えた末に、

  ・大人になると指をとばすことができるようになる。

  ・しかし、指が無くなると不便なので、飛ばすことは無いし、子供にも教えない

という結論に達した。

 うん、子供らしくてほほえましい。