車とは。

 そして今日の電話のもう一つのテーマは、「アナタの車選びの基準はおかしい」というものだった。
 なので、持論を熱く語っておいた。それはこういうことだ。
 ダンボールで草の斜面をすべったり、子供用のおもちゃの車で坂を曲がったりするのは面白い。 
 その面白さの根源は、スピード感や滑走する爽快感、低い視点等の日常得られない感覚が体に入力される快感と、逆説的だが自分の体以外の物と一体化し、それを自在に操る楽しさである。
 ドライビングプレジャーも同じ由来のもので、そこをより強く感じるためには車との一体感や体に入力される情報量の多さが一番大事だ。
 つまり楽しい車に必要な特性は、軽い車体、敏感なエンジン、少ない遮音材、人間の反射神経が着いていける低い限界、そういった物だということだ。
 それをあらゆる面で体現したものが日記に書いたキャブ仕様ミラである。
しかるに現在の「イイ車」作りのアプローチは残念ながら、外界からの情報から「不愉快な雑味」をできるだけ除こうという方向である。それでは高い動力性能という香辛料をどんなに付加しても、面白さという面ではミラを超えられない。
 大量のインフォメーションが長時間与えられることは肉体にとって疲れる。だから高速等ではミラは苦痛だが、外界からの情報量を削減して長距離運転を楽にしようという車作りの先には真のドライビングプレジャーは存在しない。ポルシェであろうとBMWであろうと所詮は「走る応接間」に近づいていくのだ。
 「運転することの痛快さ」に目覚め、ピュアにそれを目指した者は、みんなこの結論に行き着くに違いない。