大事なもの

 もしあなたが、なにか「物」を所有していたとする。
 それは30万円以上する高価なもので、しかも購入以後もメンテナンスに多大な手間と、金額が、長期にわたって必要だとする。
 そんな尋常ではない代償をを払っている所有物、ますます愛着は増し、傷が付いたり無くしたりしたら多大な精神的ダメージをこうむるような「大切な」ものになるだろう。
 

 で、この「物」は実は子供を指しており。
 子供という存在を「自分の子孫である」というかなり(感情的にも)特殊な要因を除いて、単なる所有物として捉えなおしたらどうだろう、という思考実験な訳ですが。
 それでもこれだけ手間ひま・コストをかけて所有する物は(たとえそれが漬物石でも)、当人にとっては大事な物になるだろうなという結論に達しました。まさに子は宝。


・・・・と、4本の足を乗せながら、そんなことを考えました。