個人にとっての戦争

とある人が、戦争に関する本を読んでいたので、私もさる本を思い出した。
図書館でジャケ借りした本だったので、タイトルはよく覚えていないんだけど、戦時中に潜水艦でドイツまで行った人の日記だった。

もっと詳細にいうと。
「大戦末期、特に制海権を取られてからは、ドイツと日本の連絡・物資運搬の手段は、大型潜水艦でコソコソ往来するしかなかった。
原子力潜水艦なんてない時代だから、時々浮上して充電や酸素補給をせねばならず、そこをレーダー完備の連合軍に狙い撃ちされる訳で、無事にたどり着ける例はとても低かった。
 そんな中、なんとかドイツまで行き着いた、技術仕官(というかドイツ人との技術交換目的で徴用された半民間のエンジニア)の日記」だ。

 
 内容はとても面白い。なにが面白いかというと、民間人の日記なので、古さを感じさせない口語調の平文で書いてある事(内容が戦争に関することでなかったら、本当に昨日書かれたもののようだ)、また、現状を冷静に分析し、明確な敗色はみとめつつも、自分の任務は実直にこなしている所とか。
 「会社もこんな事してたらダメだよなぁ」といいつつも、自分の持分の仕事はまじめにこなす、現代の日本人とまったく同じメンタリティに、たかだか50年ぐらいで日本人の中身なんて変わらないという事に気付かされる。
 しかも「やっぱりドイツの電気部品は性能バラツキがまったくちがうなぁ! これ使えたら日本のレーダーも性能が・・」などと興奮しているところは、同じエンジニアとしてひどく共感できる。


 で、なんどか危機に会いながらも無事ドイツに着き、いろいろ歓待をうける。ここの描写も物見遊山的にのんきで、戦時中も場所がかわればこういう部分もあったんだなぁと感じる。
 そしてドイツ側の技術資料ももらって、再度日本にむけて出航し、途中寄港した・・という誠に中途半端なところで日記が終わっている。(というか次のページからいきなり資料集が始まっている)
 あれ?落丁か?とも思ったが、ページ数はつながっている。
 訳がわからず、資料集の年表を精読したら、寄港して、次の港に着くまでに撃沈されている!!

 
 ものすごく衝撃だった。 書物や映画も含めて、今までに触れた戦争物のメディアでもダントツの。
 
 だって、たとえそれが実録物だったとしても、戦争物って、わかりやすく「可哀想でドラマチックな話」に構成してあるじゃないですか。 お話としての起承転結の中で、死に至るというか。 
 それが、何の脈絡もなく唐突に死んでいるものだから、完全に油断して無防備だった感情に、鋭利な刃物のように抵抗なくスッと深いところまで刺さった。しかも完全に感情移入していたので、ぶん殴られたように衝撃だったわけだ。

 たとえば考えて見て欲しい。
 何気なく見つけた誰かのブログを何か月分も、ずーっとたどって読んでいたとして。「あー、歯磨き粉もうすぐ無くなるから買わなきゃなー」という生活感溢れる書き込みがある日あったとする。
 その次の行で『息子はこの次の日、交通事故で死にました。息子の生きた証にこのブログは残しています』とか唐突に書いてあったとしたら、けっこうガツンときませんか。


 個人に襲い掛かる実際の戦争というものは、ドラマチックでもなく、ただただ残酷なんだな、ということが痛いほどわかった。