手先

 ある日、会社にて。なんと、課の派遣さん管理業務を押しつけられてしまいました。
 その派遣さんは、もともとたいそう使えないことから、部署でも不満の声がかなり上がっていた人だったので、
私はその業務委譲を奇貨とし、違う派遣さんに切り替える動きを開始しました。
 (彼が、別の正社員の口を探していることを、内々に聞いていましたし。)

 そうして数ヶ月。
 派遣会社に手当たり次第に見積もりを取り、(そして「そら新人の単価ですわ。無理です。」と言われながら)粘り強く情報収集と交渉を行った結果、前よりもかなり安く、そして前よりは使える人と契約することが出来ました。


 さて。


 先日「万国の労働者よ、隷属の軛を粉砕せよ!」という趣旨の書き込みを行いましたが(ウソ)、
いちサラリーマンとしては、今回の「ローコストでより良質な派遣さんを入手せよ」という『課題』に対して、うっかり全力で取り組んでしまいました。

 
 私がこの世にたった一人の特殊な人間ではない、という前提で話を進めると、これはとても興味深い事です。

 「人間は、個人的の倫理観をふりかざしても無駄な状況だと、長いものに巻かれる」、格好の一例だからです。

 私がもっと容易に行使できる大きな権力を持っていたなら、また別のやり方をしたでしょうが、かくも分業化された中、現実的には狭い権限と選択枝しか持っていない訳で、自然と個人的な損得に走ってしまいました。 システム下での分業は、無責任を産むわけですね。


 ぐっと拡張すると、大きくは、戦争というシステムもそうです。 
 日常生活では、個人が「人を殺そう」と思い、そこから実行に移すまでは、もし仮に法に触れなかったとしても、大きなハードルが有ると思います。
 罪悪感もあるでしょうし、殺すことそのものに対する心理的抵抗感もすごいでしょう。 
 モチベーション?の維持も大変だと思います。 自分が諦めれば殺さなくて良いわけですし。
 よほど例外的に壊れた人間で無い限りは、「ついカッとなって」という勢いがなければ、とても無理だと思います。


 ところが、「殺してきてよ(命令)」「(俺が殺したいんじゃ無いけど)命令だから仕方なく殺す」という分業が発生した瞬間、そのハードルは画期的に下がってしまいます。恐ろしいことです。

 そして戦争とまではいかなくても、一定以上に大きくなった集団というものは、同様の力学がビルトインされていますので、古今東西どうしようも無く愚かしい決断をしますし、また無慈悲に個人の幸福を刈り取っていきます。 そして善良な個人にその荷担を強います。本人も気づかぬうちに。

 
 ガス室送りに関連したドイツ人は、全員が残虐非道なシリアルキラーだったでしょうか。 
 身の毛もよだつ殺戮設備の完成に、善良で有能なエンジニアが、ほんのちょっと才能を発揮しまわなかったでしょうか。
 大戦中アメリカで、日本の木造民家をいかに効率的に発火させるかを研究していた人たちは、それを使用される側の事を少しも考えなかったでしょうか。
 不要な社員を「自主的に」退職に追い込むスキームを考えた本社の人間は、血も涙も無い悪人ばかりでしょうか。
 霞ヶ関のお役人全員が、個人的にしゃべっても会話が成立しないぐらいに、頭が悪いなんてことがあるでしょうか?
 韓国人や中国人は、最悪の日本人よりも、「わがままで、うそつきで、愚かしい」でしょうか?

 いずれも、冷静に考えれば「そんなことは無い」でしょう。

 
 右翼か左翼か、原発廃止か継続か、脱亜入欧かアジア共栄か、きのこ派かタケノコ派か、いずれの思想を持つかは個人の自由ですが、「一個人の倫理観はどうだろうが、集団的行為には反映されにくい」ということは「現実」ですので、「集団に飲み込まれた時の自分の行動」を想像する力は持ちたいものです。


 以上、派遣の片棒を担いだ自己弁護でした。 
 まぁ僕も結局、おなじ被搾取層だしー。派遣さんも日本国民の時点で世界的には搾取層といえるわけでー。 あいこだよね!