空洞化の最前線

 最近円高がいっそう進んでいる事もあり、ものづくりが外国に出て行くことに対する懸念論をことさら良く聞く。
 しかしこの問題、声高な論調を聞くほどに違和感を感じる。
 それらは必ず「このままでは日本は大変なことになる」といった風味付けがなされており、それはその通りだとおもうのだが、そういう悲愴な味つけが、淡々と進む現場を知っている者の目には奇異に映るのだ。 そんな大上段にふりかぶる問題じゃないんだよ、と。
 メーカーの物づくりの現場では、普通に設計の流れの中で、メンバーが作った見積もりを基に「あー、こりゃ輸送費考えると国内で作った方が安いね。」とか、「工程多いから、出張費出しても海外で作った方がペイするね」とか、極めてロジカルかつ単純に物事は決まってしまう。
 国内の自社工場が遊んでしまうとか、政治リスクがとかそういった事情が絡むと幾らか判断は混みいってくるが、根幹は事務作業なので、悲壮感や思い入れとは別次元だ。基本は安い方を選ぶ、ただそれだけなのだ。
 「Aというボタンを押したらBになる」程度のカンタンな理屈なので、「高けりゃ空洞化進むし、安けりゃ戻ってくるよ」としか思わないし、思えない。 そりゃこれから子供も育つ国だから、景気の良い国であっては欲しいけど、これに関しては感情の入る余地が無い問題であることも真実なのだ。